粕本集呆の「競馬の花道」

カスPこと粕本集呆と逆神の権兵衛による、日本で唯一、当たらないことを"売り"にしている競馬予想ブログ。

多度大社の「上げ馬神事」について思う事。

5月14日の競馬の結果

中央東京「ヴィクトリアマイル」…カスPハズレ/逆神の権兵衛 ハズレ/モリアテ教授 

ハズレ

1着 6番ソングライン(4番人気)

2着 16番ソダシ(3番人気)カス〇 権◎

3着 2番スターズオンアース(1番人気)カス△ 権〇

 

一体いつまで耐えればいいんですか……?

 

レーン騎乗のソダシはスタート直後に斜行してルージュスティリア、ナムラクレア(カス▲、権▲)、ナミュール(カス◎、権△、モリ◎)、クリノプレミアム(カス×)の4頭に不利を与えた。

まさに悪魔の子ダミアン!

 

三重県桑名市の多度大社の「上げ馬神事」が動物虐待ではないか?と問題になっているそうで。出場した1頭が骨折して安楽死処置が取られたことから物議を醸すように。競馬だって14日に新潟で一頭予後不良が出ている。相変わらずヒステリックな動物愛護団体が金切り声をあげている……と切って捨てるのもどうか?という面も今回はあります。

というのも、上げ馬神事で急坂を登る馬がどういう種の馬か?にもよるからです。上げ馬神事は700年続く行事だそうですが、今から700年前は1323年。翌1324年に鎌倉幕府を揺るがす「正中の変」(後醍醐天皇と美濃守護の一族・土岐頼貞や多治見国長が謀ったクーデター未遂事件)が発生。1323年から10年後に鎌倉幕府が滅びます。その鎌倉幕府を造った源頼朝の弟・義経が一の谷の戦いで決行した「鵯越の逆落とし」(1184年)は、上げ馬ならぬ「下げ馬」で、鹿しか通れない狭い急坂を、騎馬武者たちが群れをなして駆け下るという無茶極まる奇襲作戦。昔の軍馬は小柄ながらもタフでした。戦場なんて場所を選んではいられない。伝令は一刻でも早く情報を伝達しなければならないので、全速力で山の中を上り下りすることだって普通にある。その山道だって当然整備されているわけはなく、あちこちに石や木切れが転がっている。それに、以前別の機会で述べましたが、馬も小さかったが乗っている人も小さかった。現在はサラブレッド。均されたコースを速く走るという目的のため、人工的に品種改良した馬。急坂を登るということは前提となっていない。

とはいえ馬が可哀想だから「上げ馬神事」を廃止しろなどというノータリンなことを言うつもりは一切ありません。急坂を登れるだけのある程度タフな品種を選ぶか、サラブレッドを使うことを前提にするなら、距離を伸ばして、その分坂の傾斜をある程度緩やかなものにするか、と何かしら工夫するのもひとつの考えでは。絶対にこの傾斜角度でなければならないという決まりもないでしょうし、それで少しばかり迫力が落ちても、お祭りなのでムードがあれば観衆は満足してくれる。流鏑馬や「相馬野馬追」(江戸時代に、伊達政宗を苦しめた相馬義胤の子孫である中村藩5代藩主・相馬昌胤が軍事訓練をセレモニー化して現在に至る)のような伝統行事に引退したサラブレッドが少なからず参加しており、所有者は馬を普段から大事にしている。今回安楽死した馬も、所有者たちは普段から家族のように可愛がっていたらしい。口先だけの動物愛護団体とは違う。従前通り何も変えないか廃止するかといった極端な話ではなく、時代というか、主役である馬のために柔軟な改善策を採ってもらいたいところです。

ちなみに「相馬野馬追」の相馬家は関ケ原の合戦の際、石田三成への恩もあったことから中立の立場をとり、積極的に徳川方に味方しなかったことで改易処分とされたのですが、本多忠勝の機転により家康の前で面目を施し、再興を許されたという逸話が残っています(旗本の島田重次や伊達政宗の弁護もあった)。本多忠勝は多度大社のある桑名の初代藩主、そして面目を施したその舞台というのが実は当時はまだ普請途中だった江戸城内の「競馬(しかも障害レース)」。ジョッキーは相馬義胤の息子で後の中村藩2代藩主となる相馬利胤(当時の名は小太郎三胤)でした。