粕本集呆の「競馬の花道」

カスPこと粕本集呆と逆神の権兵衛による、日本で唯一、当たらないことを"売り"にしている競馬予想ブログ。

角田大河はもう誰にも償えない。

ウーマンラッシュアワー」の村本大輔という芸人が、「イスラエルパレスチナより、フワちゃんやすこ問題の方が大きいみたい」と嘆いていたそうですが、当然じゃん。

パレスチナの非戦闘員を虐殺し続ける、アドルフ・ヒトラーの生まれ変わりのようなベンヤミン・ネタニヤフを日本の庶民がネットでどれだけ糾弾したところで、意に介されることなどありえない。何も変わらない。一方フワちゃんとかいう芸人なら、噛みつきまくれば、企業が彼女が出演しているCM等を非公開にしたり番組から降板させたりできる。

華やかな大物芸能人の社会的生死を

(主観的には)自分たちの思いのままに

できるんですよ。

これほど楽しいことはないでしょう。

ちなみに私はフワちゃんもやすこも、この騒動が起こる前は名前だに知りませんでした。友人は昨年はフワちゃんをテレビで見ない日はなく、今年はやすこをテレビで見ない日はないと言っていましたが、私は昨年も今年も殆どテレビを見ていないので。

 

問題は……角田大河です。

競馬場の芝コースに車で乗り入れるよりもやってはいけないことをしたんですよ。

父の角田晃一、兄の大和、母親、師匠の石橋守師、誰かは知らないが車に同乗していた人、更には彼を聴取したJRA職員、懇意の馬主、仲間の騎手、すべてを悲しみと自責のどん底に突き落とした。蛇足でいうなら、自殺の方法も最悪。亡骸と最後の別れすらできない。

JR千歳線上野幌駅構内で、若い男性が区間快速に飛び込んだのが8月2日(金曜日)午後3時10分頃。角田大河が車で函館芝コースに乗り入れた翌日。日曜日にネットでこの男性が角田大河ではないかと憶測されているのを見ましたが、一方でそれを否定し、函館競馬場の調整ルームで軟禁されているとか、滋賀県の自宅で謹慎しているとか言う事情通(?)みたいな人もいた。調整ルーム軟禁はさすがにないと思いましたが、自宅謹慎が妥当な線で、たとえ自殺説がまことしやかに囁かれても(しかもその源が藤田伸二と瀧川寿希也だというのだから開いた口が塞がらない)、それをJRAが公式で否定するのは筋違いだからだんまりなのは当然。それに8月2日の上野幌駅の飛び込み自殺が角田大河だったらJRAがすぐに訃報を出すはず。後藤浩輝騎手や青木芳之騎手のときがそうだったじゃないか。あれから一週間近く経っているのだから、別人の自殺で、たまたま時間的に近いので角田大河の自殺にされたのでは?…とりあえず迂闊なことは記せないと静観していました。

金曜夜に、上野幌駅の自殺は栗東市の20代の男性と判明と出たからかなり角田大河の可能性が高いというメールが届いても、ガセネタを掴まされたのでは……あれから一週間だし……とまだ疑っていたら、土曜朝に一斉に報じられました。何故JRAが訃報を出すのに一週間近くかかったかといえば、飛び込んだ男性が角田大河と確実に判明するのにそれだけの時間を要したということ。後藤、青木両騎手のときは飛び込みではなかった。

私がブログでUMAとか人間の理解の範疇を超えているとかキーボード叩いて罵っていたとき、既にもうこの世の人ではなかった。

 

正直なところ、呆れ果てたものの、悪質さという点では名古屋競馬の岡部誠の方がずっと上だと思っています。角田大河は競馬界の価値観からすれば到底許しがたいでしょうが、あくまで競馬サークル内の話。刑法的には器物損壊に該当するかどうか(故意面で「未必の故意」が成立するかどうか)。しかし岡部のやったことは人間社会で悪質。程度によっては兵庫県の斎藤元彦のようなことになりかねないし、そこまでいかなくても長く癒えない心の傷を負うこともある。角田大河のやらかしたことで、造園課は相当迷惑したでしょうが、それで自殺者が出るとか、心に深く傷を負う人は出てこないでしょう。

それがどうだ、岡部は夏休み程度の騎乗停止期間前の笠松開催3日間、重賞も含めた予定されていた騎乗すべてを臆面もなく乗り、角田大河は自ら命を絶った。多くの人の心に深く傷を負わせた。岡部はまだ生きているので、償うことができる(当人にその気があるのかどうかは知らんが)。角田大河はもう誰に対しても償えない。函館競馬場の件は、若気の至りにしては相当ひどいが、しっかり償えば、ずっと後になって「あの頃はUMA級のバカだった」で何とかなっていた。繰り返すが、直接傷つけられた人はいないのだから。

私個人は馬場造園課で懲役3年。そうすれば芝コースには車はおろか、土足で踏み入るのも恐れ多くなるだろうと考えていました。どこかの報道で「騎手免許剥奪もあるかもしれない」とJRA職員が聴取の際角田大河に言い、大河はそれにひどいショックを受けていたと、スポーツ新聞記者の談話として紹介されていましたが、それは常識的にあり得ない。かつて後藤浩輝は所謂「木刀事件」の後、騎手免許を剥奪されたか?木村哲也は調教師免許剥奪されたか?前のブログのエントリーで記したように、造園課の人たちの苦労と努力は知っています。しかし人を傷つけることより芝を傷つけることの方が罪が重いというなら、「競馬場の子」という差別と偏見はなくならないでしょう。芝を車のタイヤで踏みにじった罪は重いでしょうが、人への暴力とは比較にならない。もし「造園課の人たちの芝に対する思いを踏みにじったことが暴力だ」と真顔で言う人がいるなら、その人はこれまで心を折られるようなパワハラを味わったことのない幸福な人生を歩んだ人なのでしょう。

 

キリスト教十二使徒のひとりだったイスカリオテのユダが「裏切り者」として非難されるのは、彼がユダヤ教の祭司長たちにイエスを売ったことではない。他の弟子たちもイエスに危難が及ぶのを察しながら、巻き込まれるのが嫌で皆トンズラこいた。初代教皇とされるシモン・ペテロはイエスの連行について行きながらも、イエスの弟子であることを繰り返し否定して難を逃れようとした。五十歩百歩。他の弟子たちとイスカリオテのユダの最大の違いは、イエスが処刑された後の行動。シモン・ペテロら他の使徒たちは自らの行いを悔いてイエスの亡骸の元に集まり、復活したイエスから言葉を授かり、教えを世に広げるべく文字通り命を懸け、多くの者がローマ帝国の迫害の末殉教した。ユダは悔いたまでは他の使徒たちと同じだったが、その後復活したイエスにまみえることなく自殺してしまった。罪を償うことをしなかったのだ。どれだけ辛くても、自分の罪を正視していれば、彼の汚名が二千年続くことはなかったのに。