粕本集呆の「競馬の花道」

カスPこと粕本集呆と逆神の権兵衛による、日本で唯一、当たらないことを"売り"にしている競馬予想ブログ。

死ぬまでJRAは当たらないような気がしてきた。

作家の童門冬二氏が逝去。享年96。一年前に既に他界していたらしく、本人の意向で、一年後に公表することになっていたらしい。代表作である「上杉鷹山」はまだ読んでいないのですが(NHKで放送された筒井道隆主演のドラマ版は視た)、鷹山とほぼ同時期に藩政改革に取り組み、並び評される熊本藩の細川重賢、南北朝時代南朝側の策士として活躍した北畠親房関ヶ原の合戦で西軍について一度はすべてを失いながらも、柳川藩10万石の大名に返り咲いた立花宗茂等、色々な作品を読みました。今の歴史小説と違って大胆な解釈や脚色はないものの、癖がなく、とても読みやすい作品を書く人でした。歴史を扱うテレビ番組にもよく出演していました。

今、今村翔吾の「八本目の槍」という、加藤清正福島正則ら「賤ケ岳の七本槍」の7人と石田三成の物語を読んでいるのですが、大胆な解釈は歴史小説ファンによっては受け容れられないところもあるらしい。確かに最初は些かの違和感をおぼえましたが、小説は学術書ではなくエンターテインメントで、ある程度のフィクションもありだと思っているので、これはこれでいいと納得しています。和田竜の「のぼうの城」や「村上水軍の娘」も史実を下敷きにしつつも、ほぼフィクションのような作品で、歴史小説も昔とはだいぶ様相が変わってきたし、そうでないと読まれないという背景もあるのかな、と。誰が言ったか失念しましたが、歴史小説や時代小説は司馬遼太郎池波正太郎藤沢周平といった、既にこの世にいない人たちと争わなければならないと述べていました。ミステリーは時代に沿っていくのでアガサ・クリスティー江戸川乱歩は古典扱いで済む。最近プレイステーション5で「オリエント急行殺人事件」のゲーム版が出て、設定を現代にしているのでポアロスマホで会話しているのにびっくりしましたが、原典は1934年。スマホどころか電車の中には電話もない。歴史小説や時代小説はレジェンド相手に直球勝負はしづらく、変化球も駆使しなければならないかもしれません。ただ、「天と地と」で海音寺潮五郎が実在を否定していた山本勘助が、実在の人物で、武田軍の中でもそれなりの立場にあったことがほぼ明らかになったり、司馬遼太郎が「国盗り物語」で描いた斎藤道三が、実は道三1代ではなく父子2代かけて美濃を奪取していたとか、研究が進んだことで昔の人とはまた違ったものを書くことができるというのもあります。

 

1月13日の競馬の結果

中央中京「シンザン記念」…ハズレ

1着 4番リラエンブレム(3番人気)

2着 8番アルテヴェローチェ(1番人気)△

3着 15番ウォーターガーベラ(14番人気)

 

馬連BOXにしても当たらないとは……実はリラエンブレムと5着だったタイセイカレントでかなり迷った挙句、タイセイカレントを選んでしまいドボン。馬連950円は当たっていたとしても50円トリガミでしたが、それでも当たると当たらないでは天と地との差。もしかして死ぬまでJRAは当たらないのでは?残り400メートルでリラエンブレムの脚色を見て諦めました。武幸四郎師は馬に成長を促すために少し間を空けたものの、思ったほどに成長が乏しく、果たしてどこまでやれるかと少し不安もあったようですが、蓋を開ければ2着に2馬身差の圧勝。ただ、リラエンブレムが怪物でなければ、1戦しかしておらず、まだ本格化にはほど遠い未熟な馬にコテンパンにやられた2着以下の馬は、NHKマイルCを含めたクラシック戦線では、よほどの成長がないと厳しいということに。

園田競馬の事故については、私は園田競馬交流重賞しか買わないので亡くなった松本幸祐騎手を殆ど知らず、何も語ることができない。色々な記事で松本騎手の人柄を知ったのですが、兄弟子の小牧太のコメントを読み、ふと思うことがあって調べてみました。1985年にデビューした小牧が中央に移籍したのが2004年3月。ざっと20年前です。その当時園田に在籍していた騎手が今どれほど残っているのか。ちなみに松本騎手は2002年10月デビュー。川原は1976年デビューですが、小牧が中央に移籍した当時は笠松の騎手でした。

板野央 2001年4月

大山真吾 2003年10月

小谷周平 2003年4月

下原理 1995年10月

竹村達也 2001年4月

田中学 1993年4月

広瀬航 2001年4月

吉村智洋 2002年4月

渡瀬和幸 1999年4月

あと、現在笠松に在籍している松本剛志は1998年4月に兵庫でデビュー。一番古参の田中学をもってして小牧より8年後輩。松本騎手や大山、小谷、吉村らにとって小牧太はアンチャンだった頃に中央に行ったスーパーヒーローで、交流重賞とかで時折戻ってきたときはさぞ眩しかったに違いない。私が競馬をはじめたのが2003年。当時は「サラブレ」(現在は休刊)を購読していたので、小牧が赤木高太郎とともにJRAに移籍するセレモニーの様子が記事にあって、園田のファンは地元のヒーローがJRAに奪われるようで結構複雑な心境だったそうですが、競馬そのものをはじめて2年目の私にはピンと来なかった。あれから20年、当時アンチャンに毛が生えた程度だった吉村も、今や息子がJRA入りしてGⅠで3着入線している(2024年朝日杯FS・ランスオブカオス)。

話は戻って、この事故の報に触れたとき、笠松競馬でラブミーチャンを管理していた柳江仁調教師が、レースの合間に馬に蹴られるか体当たりされるかして亡くなったという事故を思い出しました。あの頃は笠松競馬の中の人たちとも接する機会があり、思い出すに結構辛かった。先述したように、私は松本幸祐騎手を殆ど知らないので正直あまり感傷的にはならないのですが、園田競馬の中がかなり辛い状況にあるのは、察することができます。