今頃になってボビー・コールドウェルにハマっております。
10月21日の競馬の結果
中央京都「菊花賞」…カスP ハズレ/逆神の権兵衛 ハズレ/モリアテ教授 ハズレ
1着 13番アーバンシック(2番人気) カス◎ 権〇
2着 16番へドントール(4番人気)カス△ 権×
3着 17番アドマイヤテラ(6番人気)
セントライト記念では1着と2着だったのが、菊花賞で1着と14着と、大きな差がついたアーバンシックとコスモキュランダ。コスモキュランダはまったく見せ場なし。デムーロは長距離はあまり得意な印象はなかったけれど、いくら何でも14着は……。長距離での力量の差というより、これがルメールとデムーロの現状の差を如実に表していると思います。ともにJRAの騎手免許を修得したスタートラインはほぼ互角で、しかもルメールは出脚で思い切り躓いた(スマホ使用で騎乗停止処分)にもかかわらず。天覧競馬の天皇賞秋、エイシンフラッシュで勝利し、天皇(現上皇)の前で下馬して膝を折ったあの頃のデムーロは何処に。アーバンシックとの血統の差云々と言われていますが、個人的には2400走れる馬は3000も走れると思っています。2000メートルの馬だと思っていた馬に菊花賞より更に1ハロン長い天皇賞春を勝たれて天を仰いだことも幾度か。そもそも昔のメジロ牧場のようなスタミナたっぷりステイヤー血統は殆ど皆無で、今はミドル~クラシックディスタンスの馬をどううまく操って3000メートル走らせるか、でしょう。ダービーではコスモキュランダ6着だったのに対し、理由はどうあれアーバンシック11着だったのだから(このときの鞍上は横山武史)、血統はここまで差がつく決定的要因ではないと思います。
まァ、軸馬をアーバンシックにしたまではよかったが、ヒモに指名した馬がへドントール以外はまったく目も当てられない有様。特に善臣先生のピースワンデュック。出遅れて引っ掛かって先頭に飛び出してくる……もう笑う以外にない。秋華賞はスタート10秒で視るのをやめましたが、菊花賞は残り200メートルを待たずして視るのをやめました。アドマイヤテラがいなくても、4着馬、5着馬も買っていなかった馬なので、惜しいもへったくれもないわけで。
ちなみに笠松の「ネクストスター笠松」はケンして正解だった。勝ち馬こそ笠松所属の藤原幹生でしたが、2着3着は丸野、塚本と愛知の騎手。このレースは笠松所属馬オンリーのレースなので、愛知の騎手も笠松の馬に乗っている。単勝1.3倍の1番人気・スターサンドビーチ(おそらく私もこの馬を軸馬にしたでしょう)で7着に沈んだ渡邊といい、笠松の騎手はどうもここぞという時の勝負強さが足りない。「オグリの里」で強調しているような仲の良さも大切だけれど、競争心も養ってくれないと。その点、正直復帰してもロートルかも…と侮っていた高木健が所々で意外な(?)勝負強さを発揮している。
さて…前も述べましたが、私はビジネス右翼の産経は嫌いです―だったらガチ右翼は好きなのかというとそれも御免だが。しかし朝日新聞系列の「AERA」は人権御無用とばかりに未だ執拗に藤田菜七子を叩き続けている。
実は私、一昨年の春まで朝日新聞を購読していましたが、一旦止めてもらいました。当時ロシアがウクライナに侵略し、陰鬱なニュースばかりが紙面を覆っていたので、新聞を読むのが嫌になったというのが理由なのですが。また世情が落ち着いたら…と思ったら朝日新聞の営業所が潰れてしまった。従って私の住んでいる地域は中日新聞しか購読できないのですが、
どの途もう朝日新聞は読まん。
読んでホントに吐き気がしてくる記事。
こういう記事特有の「Xでは」と無責任なSNSのコメントをさもすべての競馬ファンの意見のように扱っているし―そもそもこの記事に限らず、金貰って記事書いている人間がSNSの声を採り上げている時点でもう失格だと私は思っている―、「謝罪マスター」って何?佐村河内守の話と藤田の話は全然違うだろ。「涙は救いになりません」って、芸能人が記者会見で泣いたのと一緒にするなよ。泣いた云々は根本調教師の談話だし、「謝罪マスター」が考えているようなお涙頂戴の計算なんて根本師にあるわけないだろう。あの人の人柄を知らず、芸能人や芸能関係者を基準にするからそういうゲスの勘繰りが出てくる。それに「公表できない裏事情があるのでは?」って、それは後述するけれど藤田じゃなくてJRAに向けて言う話。内容がひどすぎる。竹中さんとやら、「藤田へのバッシングに相乗りして批判している人には竹中氏も嫌悪感を抱いている」というけれど、私からすればあなたも同類。
わざわざそういう「断り」を入れているのが不自然極まりないわけで、前の記事はどこぞのライターだったが、それに輪をかけてひどい記事を書いているのは大谷某というれっきとした編集部の人間らしい。名前からして女性なのでしょう。前回のライターも女性でしたが、この格言が私の頭の中にはっきり浮かび上がりました。
ちなみに私は藤田菜七子が可愛いと思ったことはないし、競馬界は可愛くても騎乗技術がなければ用無し。マスコットは必要ない。伝説的な名手や名伯楽の息子だって、結果が出なければ相手にされない。ギャンブルである以上、結果を出してくれる―賭けに勝たせてくれる―かどうかがすべて。競馬というのは牧場、育成牧場、馬主、厩舎関係者、騎手、すべて関わる人のチームワークで、結果がすべての人に賞金や手当という形で返ってくる。最後の騎手がしくじれば、そのレースに限れば、前の人たちの努力はすべて水泡に帰す。一度なら武豊を含め皆しくじる。しかしそれが続けば騎手は開店休業になる。見た目でいうなら藤田よりも可愛かったが、結果を出せず、マスコットにさえなれなかった女性の地方騎手もいる。ルッキズムは競馬界にはなく、ファンはブスでも上手ければ手を合わせてお願いするし、可愛くても下手なら見向きもしない。清純でなくても、私生活ではマンイーターでも上手ければ、レースの時は神様仏様の後に続く(ただしセクハラやパワハラは許さない)。
私は藤田の何を評価するかといえば、地方では女性騎手の活躍はあるが、中央ではこれまで活躍した女性騎手はいなかった。藤田はそこに風穴を開けた。初めて中央重賞を制覇し、GⅠでも掲示板入着を果たした。「女性騎手は上手くないから、いい馬は任せられない」という偏見を打ち破ったところに彼女の価値がある。これによって後続の今村、永島が重賞を制覇する。ある意味「ガラスの天井」を破った。それを「涙」とか「可愛さ」とかいう単語を用いてバッシングするのが朝日新聞社の女性編集者なのだから、「女の敵は女」としか言いようがない。
「可愛さ余って」云々ほざいているのは普段競馬をしらない輩。この大谷某という人も「謝罪マスター」も、競馬についてはまったく知らないのでしょう。競馬知らない奴が書くなよ、と言いたくなりますが、こういう記事は競馬ファンはともかく、ネット民には需要がありますからね。だから見出しが「世論」=ネット民になる。
泣いたとか云々は競馬ファンにとっては本当にどうでもいい。競馬ファンの多くは、どれだけ号泣してもその後でしっかり処分を受けて再出発して欲しかった、でしょう。一番大事なのは「公正」を害したという事実。だから藤田も水沼や永野や小林勝と同じで、彼女だけがどうこう、ではない。私からすれば、嘘をついたのは「魔がさして」のことであり(無論それでも絶対に許されない)、計画性のある偽装工作をした―といっても稚拙な工作だが―水沼や永野、小林勝の方が悪質。ただルックス等でJRAやマスコミがちやほやした。どうしてJRAが藤田をちやほやしたかといえば、ギャンブルという競馬の負のイメージを彼女に払拭させようとしたから。ところが、彼女は逆に今回の不正で、競馬界の不祥事を普段競馬をあまりやらない人たちにまで周知させてしまった。挙句、プロフィールを拝見すると、おそらく藤田の件が発覚するまで、それ以前に不正で処分された水沼や永野、小林勝の名前すら知らなかったであろう大谷某にまで、「藤田が本当の“けじめ”をつけられる日は来るのだろうか。」などと偉そうに言われる羽目になった。
では、競馬を知っている人はどう考えているか。JRAに忖度しない記事を記してくれたマスコミがようやく出てきてくれた。こういう記事を待っていたのです。
この若原隆宏という記者は名前くらいは知っている程度なのですが、
これぞ競馬を知っている人の記事。
常日頃から生贄を探し求めているネット民たちに阿った「AERA」の記事とは次元が違います。私が疑問に思い、このブログに記したことを、ようやくプロが指摘してくれた。プロだけに私のようなダラダラした駄文ではなく、客観的視点で簡潔に、しかしながら的確に事件の問題点を指摘してくれている。角田大河の件もそうでしたが、このままだと、またぞろJRAが何か隠していると疑われてもしょうがない。まさかネット民や「AERA」の前に藤田を差し出してそのまま逃げ切ろうという魂胆ではあるまいな。